田中です。
今回も為末大氏の「熟達論」の「観」の段階から響いた内容について記事にします。
「観」の段階では「型」を手に入れると最も基本的な行為が無意識に出来るようになり、別のことに注意を向けれるようになり、漠然としていた世界の解像度が上がり、型の段階ではわからなかった内部の構造がわかってくるそうです。その分かるようになる時の感覚に共感しました。
「量が増えて閾値を超えると、漠然としたまとまりだったものが分かれて見えるようになる。徐々に起きるのではなく突然起きる。量が閾値を超えた時に質が変化する」
この「突然起こる」という事はメチャクチャ良く分かります。突然出来るようになった技能としては「スピンサーブ」があります。
高校からテニスを始めた私は本戦に上がる事もなく高校生活を終え、大学生3回生からテニスコーチのバイトを始め(2回生から1年ぐらい毎日練習してやっと…)、営業職を4年してからテニスコーチを職業としましたが、その間、スピンサーブは打てませんでした。そんな中でプロテニス協会の新規講習会合宿で、スピンサーブをやった時、突然出来ました。理屈は分かりませんが。
閾値を超えたという事なんかなぁと。たしかに試行錯誤の量はメチャクチャ多かったと今になれば思います。「遊」の段階だったなぁ大学生時代は…。