田中です
今回も為末大氏の「熟達論」の「型」の段階から響いた内容について記事にします。
型には選び方があるそうです。
「型を習得する際は目に瞑ってただ丸呑みするのではなく、事前に選ぶ事が必要。型にも良し悪しがある。自分という存在を無視して違うタイプの憧れの存在を追いかけるのは、まるで猿が馬を目指すようなもの。自分に向いていない事をいくら努力しても抜きん出るレベルにはならない」
猿が馬を目指す…こんなに分かりやすい表現見たことありません。上手くいって輝いている人は過大評価されやすいから惑わされてしまうのですね。
「繰り返し身体化させる事しか無意識に出来るようにする方法はない。型の習得に才能は関係ない。ただ時間を費やせるかどうか。最初はわからなくても構わない。意味は量を重ねなければわからないから」
意味は量を重ねないとわからない…安易に意味が分かるって事はないんですね。深い…。